昭和28年、とんこつラーメン発祥の地・久留米で小さな屋台からスタートした「満洲屋」。
その後「日本一の店に」という想いをこめ「満洲屋が一番」に改名。
夢を持ち、夢を追いながら、ただひたすら
目の前のお客様のために一生懸命ラーメンを作ってきました。
たくさんの出会い、そこで芽生える感謝の気持ち。
ひとつ一つの積み重ねが今日の「満一」の味を支えています。

「とんこつしぼりラーメン」誕生

とんこつラーメン発祥の地・久留米に、『満洲屋』が産声を上げたのは昭和28年。現社長の祖父・田中平三郎が、餃子の屋台を引いたのがはじまりだ。やがて2代目・田中明が、久留米の歓楽街「文化街」に店舗を構える。このときメニューにラーメンも加わった。ぐつぐつとスープを釜で絶やすことなく煮込む「とんこつしぼりラーメン」は、またたくまに評判となり、店は常連客で連日賑わった。

「満洲屋」から「満洲屋が一番」に

現社長・田中實が中学3年の時、先代が急逝。高校卒業後、田中はいったん実家を離れるが、19歳のとき、母親が店を畳もうとしていることを知り、家業を継ぐ決心をする。
父親のラーメン目当てで通っていた常連客は姿を消し、当時の『満洲屋』はいつ潰れてもおかしくない状況だった。田中は寝る間も惜しんでラーメン作りを学んだ。そして、連日厨房に入り、お客様に接しながら、またスタッフをはじめ周りの人々に支えられながら、「ラーメン店で一番を目指したい」という夢を抱きはじめる。店名を『満洲屋』から『満洲屋が一番』に改名したのもこのころだ。

想いは全国区へ

想いは全国区へ。その足がかりとして田中がとった行動は、百貨店への営業だった。持ち帰り用のラーメンや餃子を催事会場に置いてもらおうと考えたのだ。またフードテーマパークのプレゼンでは、カセットコンロ持参で担当者に直接餃子を振る舞ったこともあった。
2004年、TV番組「火曜スペシャル 今夜決定!餃子日本一はここだ!」で日本一に。『満洲屋が一番』は業界の風雲児として一気に注目を集める。その後『博多ちょうてん』、『札幌麺屋誉志喜』をオープン。
一番を目指し、『満一』の挑戦はまだまだ始まったばかりだ。